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「平和とは」

「平和とは求めなければ手に入らないもの」
3月29日、安保法が施行された。
安倍首相は、国会で民進党の廃止法案の審議について問われ「廃止すると日米同盟が毀損される」と述べた。
ではここではっきり云っておこう。

いま米国では、共和党のトランプ氏はようするに「日本は自分で守れ、守って欲しいなら国民の税金を差し出せ、又は自衛隊の血を差し出せ」と云っている。

日韓の核保有発言は、悪質なビーンボールの類だが、重要な論点はトランプ氏自身の問題に止まらず、その発言を支持する米国民がいるからこそ予備選に「勝って勝って勝ちまくっている」のだ。

つまり米国民の本音は、新たに施行された安保法を上手く利用し、自国の国益にしようとしていることが分かる。
自衛隊を米国の国益戦争のために駆り出すことができれば、その費用は日本国民の負担であり、自衛官もまた日本国民であり、いま米国がイラク・アフガン戦争で抱える深刻な問題を日本国民に一部でも肩代わりさせることができるという目論見だ。

一方、それで発生するテロなどの標的になるリスクも分散することができる。その背反は、日本にテロのリスクが増えたり、自衛官の犠牲が増えることを意味する。そもそもトランプ氏の「日韓核保有容認」がもたらす恐怖など、米国防総省や国務省のみならず、隣国の中国や北朝鮮、ロシアに深刻な外交的影響を与え、各国は口をそろえて「冗談はよせ」と云うだろう。

われわれは、こういう道ではなく、「平和とは求めなければ手に入らないもの」と主張したい。
力による政策は、イラク・アフガンで見たように上手く行かない。
この二つの戦争は、米国による侵略戦争であり、その尻は自分で拭くべきだ。
恐縮であるが、トランプ氏の主張は、単なる責任転嫁であり、米大統領としてふさわしくない。
「戦争」を求めれば「戦争」を呼び、それは容易い道だ。単に武力を備え、殴りかかればよいだけだ。

だが「平和」を建設し希求する道は簡単ではない。
しかしEUはその道を選択し、アジアではアセアンが昨年AEC(アジア版EUの入り口)に調印し、ゆっくりと歩を進めている。
経済も成長を始めている。
理由は「平和」だからだ。
元々朝鮮半島は同じ民族だ。本来は統一されるのが望ましい。

日本にも同胞がいる。
三国が核ミサイルを並べて脅しあう利益は見えない。
一方、アセアンはどんどん発展して行く。
おそらくアセアンの未来的発展は、東アジアの平和希求に資するだろう。
最近になり、インドネシアが核保有を諦めた。

中国は経済大国の地位を誇示し、自主権を振りかざすが、米国と対抗するという位置づけをやめ、東アジアの平和希求という国策に転じるべきだ。政治は相互に妥協が必要であるし、米国のトランプ氏のように自国の権益を振りかざす輩は、やがて嫌われる。単に中国と日本が好かれる政策に転換すれば、それで足りる。

あーすれば、こうすると考え過ぎると乗じられる。トランプの本意は、日韓の核保有を扇動し、北東アジアを離反させ、そのことから生じる自国の国益を不当に獲得しようとする、いわく、不動産価格の吊り上げと同じ手口だ。

まぁ日本としては、戦後70年を経て、こういう米国の発言を聞きたくないものだ。
我々はこう云う。
「平和」は、経済成長(国民の幸福追求)に欠かせないと。
アセアンを大事に成長させて行こう。






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